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平成の終わり

平成が終わり、令和という時代が始まる。

明治時代以降、元号が変わるのは、天皇の崩御が訪れた時だった。

だが、今回は今上天皇が生前に譲位するということで、これまでのように粛々とした雰囲気はない。

昭和64年1月7日が昭和天皇崩御の日だった。

当時、私は新聞社に勤務しており、前年の秋ごろから、昭和天皇の体調が思わしくなく、東京の政治部、
社会部からの情報に注目していた。連日、昭和天皇の容態について、宮内庁病院が発表。
天皇の呼吸数、脈拍、さらには不遜ながら下血の状況まで記者クラブに公表した。

私は大阪勤務だったので、東京からの情報確認が日課になっていた。
昭和63年12月には社会部はもちろん経済部、文化部をはじめ整理部(紙面のレイアウトを担当)など
編集局、印刷局、発送部も含め全社員が直ちに出勤できるように指示が出ていた。

その時に備えて「号外」も準備され、その予定稿が連日更新。私も予定稿作成に携わった。

年が明けた元旦には、緊張感が一層高まり、私を含めた数人の社会部員が大阪本社に泊まり込んだ。
そして1月7日早朝「天皇崩御」の一報が宮内庁から発表されたのだった。

社内のスピーカーの声は冷静だったが、編集局長が「号外!」の大声を上げ、予定された原稿がすぐに
印刷工場へ送られ、数分後には印刷が始まったという。ただしその号外には新元号の記載はなかった。

当然、新聞紙面の日付には元号が必須。編集局内は騒然としたが、誰も知るはずがない。
実は、私は検察の幹部から「修成」という情報を得ていた。
検察庁は法務省に属しているから、この検察官は法務省辺りから耳にしたのかも知れない。
しかし、私はこの情報を口に出すことはなかった。
「もし事前に記事にしたら、政府はこの元号を発表するはずがない」と検察官に注意されたこともあるが、
我が社の誰かが口外でもすれば、ただ事では済まないことが明らかだからだ。

当時の内閣や多くの政治家は決して口が堅いとは言えなかったようだが、
総理と官房長官ぐらいしか知らないこともあり、マスコミには漏れなかったとされている。

いずれにせよ様々な災害、事件など「平らかなる」時代とは表現しがたい時代が終わった。

いよいよ令和の時代が始まる。

世界の人、日本の人、皆さんにとって、私にとって5月からが楽しみと思うことにする。

作家 津島稜