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天皇陛下退位

天皇陛下の退位が2019年(平成31年)4月末と決められた。
新天皇が即位し元号が変わり、時代が変わる。

時代が変わると言えば、平成が決まった瞬間を思い出す。

あの日、昭和64年1月7日…私は、新聞社の社会部に居た。
その前日も、その1週間前も、私を含めほとんどのマスコミ関係者は社内に釘付けだったろう。
宮内庁記者クラブは東京にしか無いので、私たちは政府と宮内庁の発表しか情報を得ることができない。
大阪にいる私たちは京都支局に京都御所を担当する記者、与党、野党を問わず昭和天皇の容態に関する
最新の信頼できる、しかも確実な動静を知りうる人物や機関に注目していた。

新聞社らしい、ある意味マスコミらしい「特ダネ意識」があったことは間違いないかも知れない。
時代の変わり目という重大な事案だったので、睡眠や休憩を忘れてそれらの情報を注視しなければならな
かったのだ。

その1月7日午前6時33分が崩御の瞬間だった。
10分後に宮内庁が発表したが、私たちは既に天皇崩御の予定稿を作り上げており、印刷工場は「号外」の
制作をスタンバイ。数時間後に小渕官房長官(当時)が新元号を「平成」と発表した。

刷り上がったばかりの「号外」を見ながら、私は、皇居の二重橋を軍馬に跨って行進する姿、
米軍GHQのマッカーサー元帥と並ぶ姿、皇后陛下とともに大相撲を観戦する姿などの古い写真それぞれ
に、昭和天皇の時代を思い浮かべた。

「軍神」「現人神」と崇められ、軍部の意思で太平洋戦争開戦の詔勅をさせられ、米軍の進駐を認めさせら
れ、そして敗戦の結果「象徴天皇」として、一人の人間としての存在を新憲法で定義された。
思えば彼(昭和天皇)の人生は何だったのだろうと、さまざまな思いが去来した。

危篤状態の天皇の病状は、小腸、胆嚢などの症状による「下血」「嘔吐」といった深刻な状況が分刻みで
医師団から伝わってくる。そのとき、改めて天皇も私たちと同じ人間だと痛感した。
私の親や祖父母の時代では想像もできなかった「生物学的な人間」の実像。
新聞の紙面では最大級の敬語、尊敬語で報道していたが、
私の裡では(不遜ながら)「87歳の爺さんが死んだなあ」という冷めたものだった。

それに比べて今上天皇は、戦争という現場を直接体験することなく成人し、民間人の美智子妃と結婚。
「人間天皇」「象徴天皇」として皇位を継承した。
皇居で寝食の保証を受け、炊事や掃除、洗濯といった家事も一切無用。
食費を稼ぐため、家族を養うため、家賃を払うために働く必要もない。
仕事と言えば「国事行為」と呼ばれるもの、例えば国会議事堂での開会の詔勅、外国の公賓との応対、
認証式などがあるが、いずれも過酷な激務とは思えない。
政治や経済などに関与することは、完全に禁じられている。
私ごとき平民は(何とも気楽で、羨ましい)と思う時もある。

だが、もしも自分がその境遇だったら羨ましいどころではない、ともすぐに分かるのだ。

好きな時に酒を飲んで寝そべったり、Tシャツで街をうろついたり、ケーキや饅頭を大食いしたりなんてことは
もちろん無理。食事や睡眠、入浴時間もすべて分刻みで、すべての時間が監視されている生活なのだろう。
「畏れ入ります」と言う他がない。

そんな陛下が自らの意思で、被災地を訪れ、住人たちに声を掛けられ、あるいは障害者施設、難病の患者た
ちに接する姿には頭が下がる。接した人、声を掛けられた人はどのような感覚なのか。
別に深い会話や、憐憫を表すわけではない。
たった一言だけにしても、一人の同じ「人間」としての存在を知ったはずだ。

その「平成」が間もなく終わる。
新しい年、新しい時代を迎えて、日本も世界も「平らかにして成る」時代が続くことを願いたい。

作家 津島稜