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グリコ森永事件@

1984年(飽和59年)3月18日の午後9時ごろ、兵庫県西宮市二見町の江崎グリコ社長宅に3人組の男が
侵入、入浴中だった江崎勝久社長を誘拐するという事件が発生した。

家人からの110番通報で直ちに兵庫県警捜査一課が出動、所轄の西宮署からも多くの刑事が現場周辺を
警戒した。

深夜になって、大阪・高槻市のグリコ役員宅に、犯人を名乗る男から現金10億円と金塊100キロを要求する
電話があり、グリコ側は現金と金塊を用意。この時点で、大阪府警も重大事件と認知して捜査に加わり、
兵庫県警は事件の一報を地元の記者クラブに発表した。ただし詳細はオフレコとなり、誘拐事件のため
人命にかかわる可能性が高いことから、警察と報道各社と協定が結ばれることになった。

しかし発生段階の一報は新聞、テレビとも概要を報道。マスコミ各社が緊急の取材体制を敷いた。

私が勤務する新聞社も大阪本社の社会部、神戸支局、阪神支局の全員に出動、待機が指示され、
編集局は号外の準備もした。

だが、この騒動を全く知らない社会部記者がいた…それが私だった。

実は、この日、私はそれまで住んでいた大阪・茨木市内のマンションから吹田市内のマンションへ引っ越す
当日だった。電話は不通だったし、ポケットベルも社会部に置いていたので、社の幹部も連絡の仕様が
無かったのだ。

そんな騒動をツユも知らず、私は翌日、通常通り出勤したのだが、社会部の幹部から痛烈な批判を浴びる
羽目になった。(社内で新聞を見れるから)と、ロクに新聞に目を通さずにいたものだから、慌てて同僚から
事件の概要を聞かされた。当時、私は警察ではなく、裁判所と検察庁担当だったので(まあ、直接は関係
ないか)とタカをくくったのが、正直なところだった。

その3日後、江崎社長は大阪・摂津市の水防倉庫から自力で脱出、無事保護された。

ところが翌月になって、社会部宛に差出人不明の手紙が届いた。
文面には江崎グリコに対する恨みと脅しと窺える内容で、たまたま社会部に居た私は部員に直接素手で
触れないように指示し、警察に連絡した。さらに2週間ほど経過して同様の封書が届き、このとき初めて
「かいじん21面相」と文章の末尾に印されていたのを思い出す。

その後、江崎グリコ本社(大阪市西淀川区)放火事件、在版新聞社に「グリコのせい品に、せいさんソーダ
いれた」という脅迫状、大阪・寝屋川市の「アベック襲撃事件」などが連続。

この事件の捜査は大阪府警捜査一課で、殺人や強盗、放火などを担当する班とは別の「特殊班」と呼ばれ
る7人の捜査員(うち1は女性)が中心となった。

6月になって「丸大食品脅迫事件」が発生した。

犯人は丸大食品に現金5千万円を要求し、国鉄(現JR)高槻駅から京都行の普通電車に乗るように指示し
てきた。社員になりすました刑事たちが電車に乗ると、車中で不審な男を発見。
職務質問などは禁じられていたためできなかったが、男をしっかり行動確認。
しかし、駅を出て雑踏に紛れ込んだ男を見失ってしまった。

顔の特徴から、この男が「キツネ目の男」と呼ばれるようになり犯人の一人と特定されたのだった。
さらに捜査員の間では、この男を「F」と隠語で呼ぶようになったのだが、それは「F=FOX(キツネ)」に
由来したようだ。

この事件は「警察庁指定114号事件」となり、各府県警にも概略が伝えられたが「F」の存在を含め、
マスコミには縦横な情報はほとんど伝えられなかった。

(以下、次号)

作家 津島稜