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三菱銀行北畠支店事件

大津支局で4年以上勤務したあと本社の大きな機構改革もあって、
1978年(昭和53年)7月、私は大阪本社社会部への異動を命じられた。
移動日の直前の7月11日、大津支局の他社の記者が京都の祇園で送別会を開いてくれた。
夜も更けて、花見小路のスナックを出たあと(ここからは「時効」ということでご容赦を願いたい…)、
他社の先輩記者の車に私を含め4人が乗り込んで、大津へ帰るつもりだった。
祇園から五条を経由して国道沿いに走るのが一般的だが、4人ともこの辺りの事情に詳しいので、
飲酒運転の後ろめたさもあり「山中(やまなか)超え」と呼ばれる地方道を通ることになった。

ところが、滋賀県との県境付近で多数の制服警官が検問しているのに出くわした。
滅多にあることではないので、先輩記者も私も驚き、そして飲酒検問に引っかかるのを覚悟しなければ
ならなかった。案の定、警官の停止合図によって停車せざるを得ず、運転していた先輩記者が俯いて
頭を下げると、覗き込んできた警察官は、何と私も顔見知りの滋賀県警の刑事だった。

目が合った瞬間、刑事も我々の顔に気づき「おい、何や、4人も揃うて」と言った瞬間、
顔をしかめ鼻に手を遣る仕草をした。
この時ばかりは先輩記者や私たちも飲酒運転がバレたと全面降伏。
すると、刑事は「ワシらは事件で忙しいんや。あんたら、こんなとこに居る場合と違うやろ」と
小声になり「早よ行け」と合図してくれた。「?」と私らは顔を見合わせ、慌てて車を発進させた。

支局へ戻ると、支局員が集まっており、デスクが「何しとったんや」と怒鳴り声をあげた。
聞いてみると数時間前に祇園のクラブ「ベラミ」で、暴力団山口組の田岡一雄組長が狙撃され、犯人が逃走
したという。
もし、あの検問が交通警察官であれば即、検挙されたところだったが、偶然、緊急配備中の刑事だったので、
それどころではなかったのだろう。
私にすればとんだ送別会になってしまったわけだが、後になって奇妙なスクープをキャッチすることになっ
たのだ(後述)。

それはそれとして、大阪社会部で私が配属されたのは南、西、港署などミナミを中心とした大阪市内の中西
部で、拠点は南署の記者クラブだった。事件・事故の取材が殆どだったので、取材対象は各署の刑事、防
犯(現・生活安全)の刑事になる。火事や事故、売春などの記事ばかり書いていたが、半年ほど過ぎた
翌年(昭和54年)の1月26日、住吉区と阿倍野区の境界にあった三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が
侵入したという一報が入り、市内の全警察署にも緊急配備が指示された。南署の記者クラブにも情報が
入り、他社の記者は直ちに応援に出動。間もなく私のポケットベルが鳴り、やはり北畠支店に向かうように
指示された。

事件は1月28日、発生から2日以上経過して、犯人の梅川昭美が突入した大阪府警の特殊部隊に射殺さ
れ、一応解決。しかし、この事件では銀行の支店長や、一報で駆け付けた住吉署員、阿倍野署員ら警察
官2人が梅川に射殺されたたほか、行員も犠牲に。
さらに人質になった女子行員が全裸にされるなどセンセーショナルな内容が明らかになった。

この事件で、発生直後から現場の銀行周辺は広い範囲で規制ロープが張り巡らされ一般人はもちろん
マスコミも現場に近づくことは厳しく制限された。私は社会部ではまだ新人扱いで、銀行が見えるロープの
近くで監視をする役目だった。緊張が続くが動きはなく、いたずらに時間が過ぎ、日が暮れると一気に寒さ
が身に沁みてくる。真冬の夜空に満月が天空に輝いていたのを覚えている。

私は、中学時代の同級生の家が近くにあるのを思い出し、その家を訪ねた。
同級生は医者になっており勤務で家にいなかったが突然の訪問にも拘らず、お母さんが私を迎えてくれ
た。無遠慮な要求に、お母さんは「あんたも大変な仕事やねえ」と言いながら息子のスキー用のアノラックを
手渡してくれた。このアノラックの暖かさは本当に助かった。今でも忘れられない。

次の日の夜も月を眺めながら路上で一夜を過ごした。
もちろん一睡もしていない。わが社は現場近くのうどん屋を前線基地にしていたが、警察の内部情報で
店内に死体が転がっているとか、女子行員が裸にされているという惨状を断片的に入手していた。
2日目の27日も大きな動きはなく、私はアノラックに身を包んで寒さを堪えるしかなかった。
殆ど睡眠を取っていなかったので28日の未明、いったん南署の記者クラブに戻りソファに横になった
とたん爆睡してしまった。

ポケットベルの音でようやく目を覚ました時は、すでに警官隊の突入が終わったあとで、社会部でたった
一人、突入の瞬間を知らなかった者として長い間嫌味を言われたものだ。

事件解決後まもなく、梅川が帽子をあみだにかぶった姿で銀行内で猟銃を構えている写真が毎日新聞に
掲載された。(すごいスクープやなあ)とまさに「脱帽」させられた。

ただ、ひとつだけ私の「スクープ」があった。現場に出動していた南署の刑事が教えてくれたものだ。

それは、梅川の愛人(未成年の少女)が、あの田岡組長を狙撃し、後に六甲山中に遺棄された鳴海清の
愛人だったという信じられない偶然だ。

私は、これを記事にすべきか迷った。
社の上司の判断を仰ごうかとも考えたが、少女が未成年だったこともあり、自分の口を封じたのだった。
だが、これも他社が記事として掲載。
さらに3年後には映画化されるという結末を迎えた。
私が週刊誌の記者なら記事にしていたかもしれないが、今でも「幻のスクープ」で良かったと思っている。

作家 津島稜