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琵琶湖100万本桜

琵琶湖の風景は、四季それぞれに思い出深い。
古くから「近江八景」と言われるように、湖岸周辺に観光名所が多い。
大津支局時代は、取材用のジープに乗って寺社仏閣をはじめ、瀬田川河畔や湖東の野洲川、信楽の里、
湖西では堅田の浮御堂や琵琶湖大橋、白砂青松の近江舞子、湖北の余呉湖、海津大崎などを訪れる
ことができた。

とくに海津大崎は桜が有名だ。琵琶湖岸は総じて平らな水辺だが、ここだけは断崖になっている。
その岬の部分に数百本の桜が並んでおり、春には見事な桜が湖面に映える。

桜といえば、野洲川上流の山里に「汽船桜(きせんざくら)」と呼ばれる名木があった。
「汽船」とは琵琶湖汽船のことで、創業者か社長かは知らないが、社の歴史を記念して植樹したらしい。
もう数十年も昔の話だ。たまたま桜の季節にその話を聞き、見物に行ったときは、里の外れにひっそりと
咲く姿に強い印象が残った。

大津支局に4年以上勤務した春、当時、全国最年少だった武村正義知事に面談する機会があり、
私は、ふと思いついて「琵琶湖に桜並木を作れば、新しい観光名所になりませんか」と口に出した。
これに武村知事は首を傾げたが「ひょっとしたら面白いかも知れないね」と愛想笑い(?)をしたようだった。

私は自分の思い付きが気に入って、後日、県庁の林務課を訪ねて林務課長に取材を申し込んだ。
課長は定年間近で、頭髪もかなり薄くなっていたが、好人物そうで、私の話を面白そうに耳を傾けてくれた。

「琵琶湖岸に桜並木を作りたいんです」
「その間に紅葉を植えれば、春、秋とも観光客でいっぱいになるでしょ」
「人工衛星から写真を撮れば琵琶湖がピンクの形で見える」

私のバカバカしい話に、課長は嫌がりもせず「あんた、若いのにオモロイことを考えるなあ」と
笑顔を見せたあと「琵琶湖は国定公園やから渚線(なぎさせん)より外側の土地を使わなあかん」
「湖岸の土地は民有地が多いから、簡単に植樹はできんぞ」など行政から見た意見を教えてくれた。

着任から日が浅かった支局長は京都支局の「名物デスク」といわれた人物で、私の話に「そら、おもろい」と
大絶賛。伝説の「桜守」と呼ばれる佐野藤右衛門氏(第16代)を紹介してくれた。
桜の植樹や保護については全国に知られた庭師であることから、品種や特性について多くの知識を得る
ことができた。私は海津大崎や「汽船桜」の印象が忘れられず、最もポピュラーなヤマザクラ、
ソメイヨシノを湖岸に植えたいと願ったが、土質や天候など極めてデリケートな植物と判明。
それでも県庁の林務課長らの協力を得て、基本的なプランを作成した。

「肝心の資金はどうする。それに、植樹するには大勢の人手も時間もかかるぞ」。
支局長は厳しい表情で私を睨んだ。
それに対し私が「植樹1本につき1万円。申込者は紙面に名前を掲載します。
作業は県と大津市に協力を要請するつもりです」と答えると、
支局長は「ふうん…」と迷っているような声だった。

琵琶湖の周囲は約240キロで、10年かかっても何本植えられるかは予想もできない。が、
支局長は「まあ、やってみるか」と迷いながらも頷いてくれた。

その翌日「琵琶湖の周囲に100万本の桜植樹計画」という記事を作成し、
本社社会部に出稿したが「ホンマの話か」「アホな原稿を書くな」と評価は散々で、
記事掲載に否定的だったという。それに対して、支局長が私の後押しをしてくれたらしい。

その間に私は大津市役所、堅田の漁業組合などを回り、具体的な説明を繰り返し協力の約束を取ることが
できた。

そして初夏のある日、私の記事が社会面のトップに掲載された。
さすがに記事の反響は大きく、湖西を中心に各地の青年会議所、老人会、子供会などから協力の申し出が
相次いだ。
支局長も私も大いに喜び、定年の挨拶に訪れた県庁の林務課長も「がんばりや」と手を握ってくれた。
事務局を県庁内に設置することまで話が進み、支局長は「俺もお前も、定年まで仕事ができた」と祝杯を
交わしたのだった。

ところが。

それから間もなく、社がとんでもない機構改革を決定した。
本社の組織を再編、支局はすべて独立採算制となり、幹部も含めた人事が大幅に刷新。
支局長は関連会社の重役になり、私は本社社会部に異動となってしまった。
支局との関係は一気に薄まり、後継者は植樹計画に無関心。
本社の事業部も担当者が変わり、編集局内も大津支局の夢物語を話題にすることも無くなった。

久しぶりに前支局長と再会。
「何や、文字通り夢物語になってしもたなあ」「100万本の桜は見事に散ってしもたわ」。
前支局長との酒は祝杯どころか涙の酒になってしまった。私も情けない顔をしていたに違いない。

それから数十年。今、考えてももったいなく、グッドアイデアが忘れられない。

作家 津島稜