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第四話 「種を蒔いた人 緒方洪庵(3)」

進んだ西洋の医学を学びたいという洪庵の思いは、日に日に強くなっていった。
ついにある日、洪庵は意を決して父の惟因(これより)に打ち明けた。

「私は生まれつき身体が弱く、武士には向きません。どうか医学の道に進むことをお許しください。医学の道を
究め、病に苦しむ人々を救いたいのです」

父は承諾した。
洪庵にとって幸運だったのは、ちょうど父が、大坂の蔵屋敷の留守居役に命じられたことだった。

これは藩を代表して、大坂の商人たちと交渉する重要な役目である。
この頃には佐伯家の経済状態も、相当上向いていた。

惟因は息子を伴って上坂した。大坂で良師を見つけて学ばせたい、と思ったのだ。やがて見つかった。
大坂の蘭学医、中天游(なか てんゆう)である。

天游は、上方における蘭学の重鎮だった。日本の蘭学の草分けは杉田玄白で、その弟子が大槻玄沢である。
天游は玄沢の弟子だったから、蘭学の正統的な系譜に属する。

天游は医学だけでなく、天文学や物理学にも造詣が深かった。
当時、西洋医学を学ぶにはオランダ語を学ぶ必要があり、オランダ語が読めれば様々な西洋の書物も読める
ことから、蘭学というジャンルの中に、西洋の科学技術全般が含まれていた。

洪庵は天游の私塾、思々斎(ししさい)塾に入門した。この時、初めて緒方姓を名乗っている。
洪庵は在塾の四年間の間に熱心に学び、やがて塾にある訳書をすべて読みつくした。

それを見た天游は、洪庵に告げた。

「お前はもう、わしのところで学ぶべきことは、学びつくした。この先は江戸へ行くがよい。江戸では坪井信道
(つぼい しんどう)の門下に入るのがいいだろう。わしが紹介状を書いてやろう」

当時の学問の本場は、何といっても江戸だった。
洪庵の才能を高く買っていた天游は、愛弟子に江戸で学ばせたかったのである。

だが、ここで問題があった。実家が裕福でない洪庵には、十分な学資がなかったのだ。
江戸への旅費や、当面の生活費も要る。

さすがに天游も心配したが、洪庵はきっぱりと言った。

「ご心配くださいますな。強い意志があれば、必ず道が開けると存じます。学資は道々、稼ぎながら江戸へ
まいります」

洪庵は、勇躍大坂を発った。道中で診療をすれば、旅費くらいは稼げると思ったのである。
しかしそこは、やはり世間知らずの若者だった。

自分の身体や命にかかわるような大事を、見ず知らずの若者に託す者などいるわけがない。
当座に用意した旅費はたちまち底をつき、ついに刀や衣服まで売ることになった。

(こんな有様では、とても坪井先生の許へなど行けない)

江戸を目前にした洪庵は、そのまま上総国(かずさのくに:現在の千葉県)に流れていった。
木更津に来たところで、日が暮れた。窮した洪庵は、ある寺の門を叩いた。

その時の洪庵の姿は、惨めなものだった。
もう冬だというのに、ぼろぼろの夏用の単衣(ひとえ)一枚で、肩にはズタ袋を担ぎ、ひげは伸び顔は垢じみていた。

だが、眼だけが涼やかに光っている。それを見た住職は、この若者に何事かを感じた。

「さあ、どうぞ中にお入り下さい。むさくるしい所ですが、ゆっくりとくつろいで、旅の疲れを癒してください」

住職に促されるままに、洪庵は自分の身の上と、上京の目的について語った。
話が学問のことに及んだ時、洪庵の口調は知らぬ間に熱を帯びていた。

洪庵は、ズタ袋から書物を取り出した。『暦象新書(れきしょうしんしょ)』である。
ニュートン物理学と天文学のテキストで、天游が思々斎塾で講義していたものだった。

洪庵の脳裏には、万有引力の法則に従って動く、星辰の動きがありありと浮かんでいた。住職は驚嘆した。
この若者はただ者ではない、と思った。

「どうにも不思議な話を聞くものじゃ。これが蘭学というものか。どうかその話を他の者たちにも聞かせてやって
もらえませんか」

木更津は東京湾を挟んで、江戸の対岸にある。
古くから海上交通の要所として栄えてきた町であり、富裕な商家も多かった。
住職は彼らに声をかけて僧院の一室に集めた。

洪庵はまだ二十歳そこそこだったが、大勢の人前に出ても少しもひるむ様子を見せず、堂々と落ち着いた態度
で講義をした。人々はみな感服した。

彼らの支払った謝金のおかげで、洪庵は衣服を新調し、ようやく江戸に入ることができた。
ところが、次の難関が待っていた。

入門に際して納める、束脩(そくしゅう)が用意できなかったのだ。
これは一種の入学金で、師匠だけでなく、奥方や塾頭それに門人の端々に至るまで、礼物を渡さねばならない。

坪井塾の束脩は他塾より安かったが、それでも洪庵には払いかねた。
そこで一年間オランダ語の個人教授をして学資を貯め、ようやく入門を許されたのだった。