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第七話「夢をビジネスにした男 小林一三(1)」

ベルばらブームを巻き起こした華やかな宝塚少女歌劇、コジラシリーズで知られる東宝映画、山田久志、
福本豊らを擁した伝説の阪急ブレーブス、それに今も変わらぬお洒落なマルーン色(栗色)の阪急電車と、
長年梅田のランドマークだった阪急百貨店……。

一定の年齢以上の関西人にとって、どれも馴染み深く、青春の思い出と結びついているものばかりだ。
これらはすべて、一人の男の夢から生まれた。

その男の名は、小林一三(こばやし いちぞう)。いったい、どんな男だったのだろうか。

山梨の資産家の家に生まれ、学生時代は作家志望の文学青年、三井銀行入社後は遊び人でうだつが上がら
なかった。

そんな彼が後半生では別人のように華やかな活躍を見せる。
開業さえ危ぶまれた箕有鉄道(後の阪急電鉄)を関西有数の私鉄に育て、宝塚で少女歌劇を成功させた。

こうして阪急・東宝グループの基礎を築いただけでなく、そこで培ったノウハウを東急の五島慶太に伝えた。
関東の私鉄のモデルは、実は阪急なのである。

また、三井の総帥池田成彬に依頼され、当時日本最大の電力会社である東京電燈の副社長、社長として
経営再建にあたった。

この成功を引っ提げて第二次近衛内閣で商工大臣となり、当時商工次官だった岸信介(後の首相)と
大喧嘩の挙句に辞職、という武勇伝を残している。

彼の人生の前半と後半では、あまりにスケールが違っている。
いったい、何が彼の転機となったのか。その問いに答えるために、彼の生涯をふりかえってみたい。

小林は明治六(一八七三)年山梨県韮崎に生まれた。一月三日に生まれたので、一三と名付けられたという。
生後八か月で母親が病死し、婿養子だった父は離縁して他家に養子へ行ったため、一三と姉は本家の大叔父
(祖父の弟)の許に引き取られた。

本家は韮崎でも有数の素封家で、分家だった両親も相当の資産を遺していた。
一三は「ぼうさん」と呼ばれ、周囲から尊敬と愛情をこめて育てられたが、本人は自分が孤児であることの
引け目と寂しさを終生感じていたらしい。

十六歳の春、上京して慶應義塾に入塾した。
養家から潤沢な仕送りを受け、何不自由ない学生生活だったが、在学中に一三は文学に目覚めて熱を上げる。

勉強はもちろん熱心にやったが、講義の合間に毎日のように芝居や寄席見物に出かけ、慶応出身の年上の
文学青年たちとも交際した。才気煥発な早熟児だったのだ。

小説もこの頃から書いていた。
山梨日日新聞に『練糸痕(れんしこん)』、上毛(じょうもう)新聞に『お花団子』を連載するなど、
才能の芽生えを見せていた。

当時の一三は作家志望であり、その修業もかねて就職は新聞社を希望していた。
だが縁がなく、慶應の先輩で文学仲間の高橋義雄の紹介で、三井銀行入社が決まった。

十二月に慶應義塾卒業、一月に出社の段取りだったが、熱海の友人の別荘へ遊びに行った一三は、
そこである女性に一目惚れしてずるずると滞在を重ねてしまう。

結局思いはかなわず、傷心の状態で四月になってようやく出社するのだが、それで格別お咎めもなかったと
いうから、現代に比べて大らかな時代だったのだろう。

東京の本店で半年ほど勤務した後、大阪に異動になった。
当時の大阪支店長は三井入社の際の恩人高橋義雄だった。
上方文芸の造詣の深い一三にとって大阪は憧れの地だった。

三井銀行の社員といえば、現代とは比較にならぬほど羽振りの良い時代で、その上一三は就職後も養家から
多額の仕送りを受けていたから、遊ぶ金には事欠かなかった。

毎日勤務が終わると、高麗橋にあった大阪支店から人力車で道頓堀へ向かった。
まず芝居見物、その後は行きつけのお茶屋で粋な遊びを楽しむ、という具合である。

やがて高橋は三井呉服店(のちの三越)の経営再建のため東京に呼び戻され、代わって一三の終生の恩人と
なる岩下清周(きよちか)が、新支店長として赴任してきた。

岩下は三井物産入社後、アメリカ勤務を経てパリ支店長となり、帰国後は品川電燈の社長を務めた。
その後、三井銀行に転じて本店副支配人に抜擢、大阪支店長を命じられた。

岩下は風貌も性格も剛毅そのもので、旧風に慣れた大阪財界に一大旋風を巻き起こした。
一三はこの岩下に見込まれて、その下で大いに手腕を発揮した。

だが岩下は、人物と事業内容を見てリスクの高い案件にも大胆に貸付を行ったため、
三井グループ総帥中上川彦次郎に危険視され、辞職を余儀なくされてしまう。

その後岩下は藤田伝三郎らの後援を得て、新たに設立された北浜銀行の頭取となった。

「どうだ、小林君。もし北浜銀行に来るなら、貸付課長のポストを用意するが」

一三の胸は高鳴ったが、入社の際に高橋義雄の世話になっている。
相談をしたところ、「もうしばらく三井で辛抱してはどうか」と諭されてしまった。

一三が事情を話して頭を下げると、岩下もすぐに了解してくれた。

「それは当然のことだ。もしよかったら、これからも気軽に遊びに来なさい」

だが岩下派と見られていた一三にとって、支店の居心地は良くなかった。
新支店長からは、どこで聞きつけたのか、「岩下君のところへ行くなら、早く行け」と嫌味を言われる始末だった。

さらにその後、私生活の面でも大きな失敗をしてしまう。結婚して、わずか数日での離婚である。