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第八話 「公会堂を遺した男 岩本栄之助(2)」

日露戦争に少尉として出征した栄之助は、兵站司令部附副官としての仕事を児玉源太郎から高く評価され、
中尉に昇進した。

終戦後、上官からは陸軍に残るよう勧められたが、それを断って除隊した。
従七位勲六等に任じられ、さらに単光旭日章を授与、一時金四百円を下賜された。

大阪に戻った栄之助は、父から正式に家督を受け継いだ。
折しも戦勝に沸き立つ国内では、株式相場は未曽有の活況を呈していた。

代表株である大阪株式取引所の株価でいうと、明治三九(一九〇六)年五月に平均百二十七円だったものが、
十二月には三百十円に高騰していた。

これについて北浜の相場師たちの見方は大きく二つに分かれていた。
まだ上がる、と強気に考えた人たちは、なおも株を買い進んだ。
一方、さすがにこれはいつまでも続かない、いずれ反動がくる、と考えた人たちも多くおり、彼らは売方に回った。

ちなみに相場には、大別して買方と売方がある。
ざっくり言って、買って儲けるのが買方。
百円で買った株が二百円に上がれば、差額の百円が利益になる。
相場が上がれば上がるほど、利益が大きくなる。

その逆に、売って儲けるのが売方だ。
二百円で売った株を、百円に下がった時に買い戻せば、差額の百円が利益になる。
相場が下がれば下がるほど、利益が大きくなる。

こうして歴史に残る大仕手戦が始まった。
結論から言うと、翌明治四十(一九〇七)年一月には、大証の株価は七百七十四円になっていた。

僅か一ヶ月で倍以上、八ヶ月前と比較すると六倍強。ほとんど狂乱状態といっていい。
このままでは売り方にまわった大阪の仲買人は全員破産、という瀬戸際になった。

その中に野村徳七(二代目)という若者がいた。のちの野村証券グループの創業者である。

ここで野村徳七父子にも触れておきたい。彼らも立志伝中の人物である。
父親の初代徳七は丁稚奉公から始めて両替商として独立した苦労人だった。

息子の徳七は大阪市立商業学校を中退後、家業の両替商を手伝った。
株式を扱うよう父に勧め、店員に背広を着せ、女子店員も雇い、自転車で颯爽と営業にまわった。

株式仲買人が株屋や相場師などと呼ばれ、銀行に比べて一段も二段も低く見られていた時代に、
ハイカラな手法で業績を伸ばしたのだった。

もっとも、すべて順風満帆だったわけではない。
思惑買いに失敗し、店に大穴を空けて、一か月間逐電したこともある。
そこから立ち直り、泥くさく商売を続けていく。

失敗の経験は、徳七を成長させた。
多くの相場師が度胸とカンだけで売買をしていた時代に、店内に調査部を設け、情報収集に惜しげもなく
資金を投じた。

相場の世界で成功を収めた後は、公債、社債の引き受けを始めた。さらに商業銀行を設立した。
投機のイメージの強い相場師から、総合的な金融業への転換である。

これが大阪野村銀行であり、この証券部門が後に独立し、野村證券となった。
銀行部門は大和銀行を経て、りそな銀行となった。

徳七の事業欲は旺盛で、福島紡績や大阪瓦斯の経営に参画し、南洋でゴム園やコーヒー園を経営するなど
した。晩年には貴族院議員になっている。

だがこの頃の徳七はまだ若く経験も浅かったため、相場の読みを誤った。
そこで協力を求めたのが、栄之助だった。

この二人はどちらも両替商の二代目であり、生家も近所だった。
年齢は栄之助が一歳上だったが、大阪市立商業学校では徳七が一年先輩だった。
もっとも徳七は病気のため、一年を残して中退している。

この二人は生涯を通じての親友であり、ライバルでもあった。
ただこの時点では、市内四区両替商総取締を務めた岩本家の方が格上であり、日露戦争で中尉となり
叙勲までされた栄之助の方が、世間の評判は高かった。

徳七はさっそく栄之助に面会し、買い方を代表して、売方としての出馬を請うた。
いや、請うという言葉では生温い。死に物狂いでかき口説いた。

「徳七さん、申し訳ないが、少し考えさせてください」

栄之助はこの時、買い方で手堅く利益を上げていた。リスクを犯して売方にまわる理由は何もなかった。
下手に仕手戦に巻き込まれれば、自分も身の破滅なのだ。

だが栄之助の許には、売方にまわった他の仲買人からも、出馬を懇請する声が届いていた。
栄之助の性格では、他人の苦境を見過ごすことはできなかった。

それにこの高値はさすがに経済の実態とかけ離れている、とも思っていた。

栄之助は父に相談した。栄蔵は息子の考えを一通り聞き終わると、しばらく腕を組んで黙然としていた。
やがて眼を開けて静かに言った。

「岩本商店はもはやお前のものだ。自分の責任で決断しろ。
だが、これだけは覚えておけ。相場は生きるか死ぬかの勝負だ」

栄之助は熟慮の末に承諾した。持ち前の義侠心もあったが、この高値が限界にきている、とも見ていた。
そしていったん決意すると、行動は迅速で果敢だった。

栄之助は、岩本商店の全資力を投じて、激しく売り浴びせにかかった。
それはまるで敵陣地に突撃する軍隊指揮官のようだった。
こうして生死を賭けた大勝負が始まった。